エッセイ「間接的な他者貢献」という今の自分にできること

直接的な他者貢献ができることは
本当に素晴らしい

自分が汗水流して稼いだお金を
他人のためにつかうことができる
自分に与えられた大切な時間を
なんの見返りも求めず
他人のためにつかうことができる

その優しさ、思い切りの良さは
本当に尊敬に値する

だから今回のような震災が起こった時に
募金したりボランティアに行かれる人のことを
否定したいわけではないことを
先にお伝えしておく

こういった直接的な他者貢献ができることは
本当に素晴らしいことなのだ

しかし・・・
そのような他者貢献をできていないとしても
自分を責めるべきではないとも思う

もちろん、たとえ10円でも20円でも
募金できるにこしたことはない
塵も積もれば山となる

ただ、人にはその時々で
持ち合わせている「余裕」というものが異なる

金銭的な余裕がない時だってどうしてもある
お金はあっても精神的な余裕がないこともあるだろう

そんな時にも絶対に募金をしなければならない
あるいは
募金できるお金がない自分が情けない
といったかんじで
自分を縛り付け
自分を責めるべきではない

繰り返すが、たとえ少額でも
募金できるにこしたことはない
支援を必要とされている人はたくさんいる

けれど今、自分にそれができないとして
それを気に病みすぎる必要はない

今、自分にできることを精一杯やる
今、目の前にあることを心を込めてやる

それで良いのではないだろうか

そもそも、私たちはみな
生きているだけで他者貢献になっている

世の中にムダな仕事はなく
どこかの誰かのためになっている

働けていなかったとしても
あなたの存在だけで誰かの力になっている

今、大事に育てている子どもが
将来世のため人のために
働いてくれるのだから
あなたの日々の奮闘は讃えられるべき功績だ

今それがわかりやすく
目に見えなかったとしても
巡り巡っていつか誰かのためになる


募金やボランティアという
直接的な他者貢献ができなくとも
今、目の前にあることを精一杯行うことで
間接的に他者貢献になっているのだ

直接的な他者貢献は素晴らしい
でも
間接的な他者貢献だって素晴らしい

今の自分にできることを
精一杯やっていこう

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