エッセイ「料理をする」という創造

「料理をする」というのは「創造」ではないだろうか

こんな風に言うと
「私の作っているものなんて適当だから
 創造だなんて言えないよ」
という方も多いと思う

しかし考えてみてほしい

そのときあなたが作ったものと
全く同じものを作ることは
どんなに優れたプロのシェフでも不可能だ

同じ味や見た目の再現というのは
不可能なのである

もちろんレストランなどでは
その再現性を重要視されてはいるが
厳密に言うと全く同じではないはずだ

なぜなら
素材の新鮮さや甘さ、水分量などは
その時々によってどうしても異なる

そして調味料の詳細な量や
火加減、火を加える時間など
その時々によって
微妙に異なっているからだ

そう考えると自分がいただく料理との出会いも
本当に一期一会だと思う

だから料理がたいして得意ではない私が
適当にぱぱっと作った野菜炒めであっても
「創造」なのである

にんじんや玉ねぎが
野菜炒めになるんだから

自分のため、家族のため、誰かのために
心を込めて(無心の場合もあるが)
料理を作るということも
立派な「創造」だ

胸を張って
自分にしか作れない新しいものを
生み出していこう

それが野菜炒めであっても
気にすることはない

私たちは新しいものを作り出している
立派な存在なのだ

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