エッセイ「写真は子のため」という誤想

親は我が子が生まれるとたくさんの写真を撮る
一人一台スマホを持っている時代
以前にも増して子どもの写真を撮りやすくなった

この「子どもの写真を撮る」ということが
子どものためだと思っている人が
親にしても子にしてもいるかと思うが
私はそうとは思わない

「子どもの写真を撮る」のは
親、つまり自分自身のためである

私の実家にも私の小さい頃の写真がたくさんある
私はそれらを見るのが嫌いだ
親的にはかわいいらしいのだが
私としてはそうとは思えない
七五三の写真なんて妙な化粧をされて
妙にすまして写っている自分がなんとも滑稽だ
しかもそれを親が見て「かわいい」と
言っているのを聞くのがなんとも嫌だった

それから月日は流れ、私も親になった
我が子はかわいくてたまらない
写真をたくさん撮った
かわいい我が子のかわいい瞬間を逃すまいと
幼稚園の学芸会のときなんて
早朝から場所取りに並んだもんだ

子どもは中学生になり写真を撮らせてくれなくなった
それだけではなく
「自分の写っている写真なんて見たくない」
と言うのだ

私はたいしてかわいくないから
前述のように思うのかと思っていたが
我が子はイケメンだ
そんなことを思う必要はない(親バカバンザイ)

そこで思った
写真は子どものためにあるのではない
親が、徐々に大きくなり自分のもとから
巣立っていく子どもを
記録として残しておきたくて撮っているのだ

写真は撮っている親
つまり自分自身のためにあるのだと・・・

なかなか子離れできない私は
これからも時々
子どもの写真を眺めてはにやにやするのだろう

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