ことばの羽根 ~あるSTの物語~44

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このようにウェルニッケ失語の患者さんは
「いちご」を「いかりよ」と聞き取り
それに伴い聴いて理解することが苦手だ

なぜこのように聞き取っているかというと
「わたり」も1つの音として認識して
しまっているからだそうだ

「わたり」とは音と音の間と言ったら良いだろうか

例えば「愛」という場合
ただ単純に「あ」と「い」を言うだけでは
ひと昔前の音声読み上げ機能のように
ぶちぶちと区切れた発声となる

(最近の音声読み上げ機能は少し滑らかに
 なりましたよね
 とは言っても私はどうも苦手ですが)

人間の音声はぶちぶちにならないように
「わたり」というものが存在している
(言葉の使い方は正しくないかも)

「愛」と言うためには
最初口を閉じている状態から口を開け
「あ」を発声するための
口唇や舌の位置や形にする
それと同時に
呼吸もコントロールして呼気を出し
「あ」と発声、それから休む間もなく
「あ」の口から「い」の口へ変化させる
呼気は途切れることなく「い」まで持続
とまぁ書いてみるとこんなかんじだろうか
わかるようなわからないような文章だ

これらを我々は普段無意識下で行っている

この「あ」の口から「い」の口への
移行部分を「わたり」というのだが
ウェルニッケ失語の方は
この「わたり」部分も1つの音として
認識してしまうというわけだ

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