「親バカ」と「バカ親」の違い
「親バカ」と「バカ親」ということばがあります
「親」が前にくるか「バカ」が前にくるかの違いなのですが意味としては大きな違いがあります
今回は「親バカ」と「バカ親」の違いについて考えていきましょう
注意
今回の内容はあくまで私が考える捉え方です
ちらっと調べたところ捉え方として間違ってはいないようでしたが、細かい内容まで読んでしまうと内容が引きずられてしまう可能性があると考え詳細までは読んでいませんので他のサイトと異なる部分もあるかもしれませんがご了承くださいませ
両者の一番大きな違いは
「誰が主体になっているか」
だと考えます
「親バカ」は子ども主体なのに対して「バカ親」は親自身が主体、つまり自分中心ということですね
「親バカ」と「バカ親」
「親バカ」は子ども主体
子どもがかわいすぎて行う行為
少々行き過ぎた場合もあるがあくまで社会秩序内
「親バカ」の例としては
・子どもの写真を見せびらかす
・SNSで子どもの写真が多い
・必要以上に甘やかす(但し社会秩序内)
・本人及びまわりに「かわいい」と話す
・子どもの年齢相応以上のスキンシップ
といったものが挙げられるかと思います
子どものことをかわいく思うがあまりこれらの行動に出て、少々行き過ぎて周囲の人及び子ども本人に少々うざく思われてしまうことはあります。しかしあくまでも社会秩序内であり法にひっかかるようなことは行っていません
「バカ親」は親自身が主体
行為ではなく親本人が「バカ」
無秩序、非常識である
「バカ親」の例としては
・車に子どもを残してパチンコに行く
・ネグレクト、育児放棄
・モンスターペアレント
・子どもの罪を隠蔽しようとする
といったものが挙げられるのではないでしょうか
車に子どもを残してパチンコに行ったりネグレクトや育児放棄に関しては言うまでもなく親としての責務を放棄しており「バカ親」といえますよね
その他にもモンスターペアレントや子どもの罪を隠蔽しようとする場合が挙げられます
「この日ははずせない用事があるから運動会の日を変えてほしい」
「うちの子を学芸会の劇の主役にしろ」
といった無茶な要望を学校に押し付けてくるモンスターペアレントや、本来その子どもがなにか悪いことをしたにも関わらずそれを金で解決して子どもはなにも悪くなかったかのようにしてしまう親も「バカ親」です
これらは一見子どものためを思ってやっているかのように思えるかもしれませんが所詮親自身のために行っています
「自分が、運動会に行きたいから/自分の子どもが主役をやっているところを見たいから」やっているにすぎないのです
隠蔽に関しても、自分の社会的な立場が悪くなる、近所での評判が悪くなるなどの自分自身にかかるマイナスな可能性を恐れてそれをもみ消そうとしていると考えられ「子どものために行った」というよりは「自己保身のために行った」わけですね
親は「親バカ」であれ
「バカ親」であってはならないことは明白かとは思われますが個人的には「親バカであること」を推奨します
・自分の子どもがかわいくて仕方ない
・ハグしたくて仕方ない
・我が子のかわいさを共有したくて仕方ない
・本人に「かわいいねぇ」と言ってしまう
これらは当然のことです
私にもふたりの子どもがおり、現在ふたりとも中学生ですが(ふたりとも男子)いまだにかわいくて仕方ありません。さすがに本人たちにうざがられるので我慢していますがこれらのことがしたくてたまらないのです(笑)
自分自身を正当化したいから言うわけではありませんが、無関心より少々うざいくらいの愛情の方が良いように思いませんか? (しつこいですが社会通念上認められる範囲内での話です)
もちろん過保護だったり過干渉だったり、行き過ぎるとよくない場合もありますが少なくとも「バカ親」よりはよっぼど良いように思います(過保護や過干渉も行き過ぎると「バカ親」になりそうですね)
「親バカであること」
それは子どものことを愛し、子どものことを想っている証拠と言えるのではないでしょうか