エッセイ「決断できない人」という筋違いな判定

決断できない状況というものは
大きく2つにわかれる

1つめは
どちらがより魅力的か(あるいは避けたいか)
悩みに悩んでいるような場合

2つめは
どちらにした方がまるくおさまるか
周りの人たちをうかがっていたり
考えていたりする場合

前者は自分自身が主体であるのに対し
後者は自分自身は主体ではない
あくまでもまわりの様子をうかがい
空気を読んでいるのだ

例をあげてみよう

前者はレストランで何を注文しようか
悩んで決めかねているような場合だ
ハンバーグも食べたいけど
パスタも食べたいんだよね
といったかんじ
自分が食べたい物を選べばいいのだが
どちらを食べたら
自分がより満足できそうかを考えている

一方後者は父母長男次男の4人家族で
お母さんから
「今日の夕飯はカレーか餃子かグリルチキンかどれがいい?」
と聞かれて、自分の食べたい物を明確に伝えず
「みんなは何がいいのかな」と思いながら
「なんでもいいよ」と答える
そんなかんじである

もし3人がそれぞれ違うものを答えたら
お母さんが困ってしまう
だったら自分は他の2人から出た意見に
のっかっておいたほうがまるくおさまる
こんなふうに考えて自分の意見を言わずに
「なんでもいいよ」と言っているのである

決断できない人というのは
イコール優柔不断と思われがちだが
実はそうではない場合も存在するのだ

後者のような場合は優柔不断ではなく
空気を読みすぎているだけなのである

すぐに決断できないことのすべてを
ネガティブに捉えるのは筋違いというものだ

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