うつ病と私

久々にうつ病のことを書いてみようと思う
というかブログではあまり
書いたことはなかったかもしれない

私は今から6年前
うつ病にかかっていた

正確に言うと
うつ病ではなかったのかもしれない

私は東洋医学の先生に診てもらっていたのだが
どうやら東洋医学では「うつ病」という
病名はどうでもよさそうなかんじだった

あくまで私がそう感じた、という話であるため
違っていたら申し訳ないのだが
少なくとも私の主治医の先生はそんなかんじだった

そして先生から
「うつ病ってことにするね
  その方がわかりやすいから」
と言われた

というわけでおそらく東洋医学的には
私は厳密には「うつ病」ではなかったと
思われるが、
職場や家族、そして私自身への説明には
「うつ病」とした方がわかりやすいため
そうしていた、と思われる

広義では「うつ病」だが
狭義では「うつ病」ではない
といったところだろうか

前置きが長くなってしまった

「うつ病」は脳の病気だ
とはいえなんらかのきっかけが
あることも多いようだ

私の場合
半分は仕事、半分は家庭だった

うつ病が寛解して数年経ち
改めて冷静に考えていて思い出したことがある

これまでは漠然と「半分は仕事」
としか認識していなかったのだが
その中でもいろいろとあったと思い出した

・異動(病院内→訪問)
・慣れない土地の訪問車運転
・訪問先の利用者さんからのクレーム
・訪問先の利用者さんの死去
・訪問先の利用者さんの下肢切断
・訪問先の利用者さんからの身体接触セクハラ
・法改正による対応
・学会発表準備

ちなみに利用者さんの死去も下肢切断も
私が直接の原因を作ったわけではない
ただ、なにか気付いてあげられなかったのかと
思い悩んだことを覚えている

このようにいろいろあった
たぶん忘れているだけで
他にもまだあったのだろう

自業自得な部分や
自分が悪かった部分も多々あるのだが
次から次へとトラブルが
やってきていた印象がある

今思い起こすと
うつ病になる前の私は傲慢だった

それなりに幸せな家庭環境で育ち
親や祖父母からは溺愛してもらえていた

お嬢様というほど裕福ではなかったが
甘やかされてきた、といっても過言ではない

それゆえに
どこか怖いものなしのところがあったのだろう

しかし歯車が狂い始めて
すべてがうまくいかなくなり
私はうつ病になった

当時は本当に苦しかった

けれど、今となってみると
うつ病という経験は
私にとって必要だったのだと思う

傲慢な私が
ちゃんと人の痛みがわかる人間になるために
与えられた試練だったのだろう

うつ病を乗り越えた今
私は人の痛みに寄り添えるようになった

うつ病になって良かったとさえ思っている

もう一度なりたいかと聞かれると
答えはNoだけどね

うつ病と私” に対して2件のコメントがあります。

  1. 畑中秀文 より:

    その苦しい経験が人間として一皮も二皮も脱げて成長されたんですね。

    我が家の3人の鬱の母娘も目に見えて回復することはないですが、長いスパンで応援していきます。

    寛解される時ってどんなふうに感じるんですか?
    その時の感じを教えていただけるとありがたいです。

    1. hidate-midori より:

      畑中様
      コメントありがとうございます。
      寛解のときのことですね、思い出して書いてみたいと思います。
      ありがとうございます。
      ただいまちょっと家庭の方がばたばたしているので日数いただくかもしれませんがご了承くださいませ。

コメントを残す