あなたへのエッセイ「フリーカメラマンぎん」
フリーカメラマンぎん
彼の写真を初めて見たとき
私は違和感を覚えた
彼は厨二病っぽいところがあるとはいえ(自称)
非常に明るくコミュ力おばけ
人への気遣いがハンパない
その場の雰囲気をぱっと明るくしてくれる
そして人からいじられることに喜びを感じ
いじられマーケティングという
新進気鋭のマーケティング手法を生み出し
向かうところ敵なし、無双状態だ
みんなから愛され、私ももちろん大好き
フリーカメラマンぎんとはそういう男なのだ
陽キャということばが適切かはわからないが
陰か陽かの二択だったら
「陽」ではあるだろう
しかし
彼の撮影した風景写真は「陰」なのだ
どこかもの悲しさ、はかなさを感じ
哀愁さえ漂わせている
この彼のキャラクターと写真のギャップが
私の抱いた違和感の正体だ
彼は
「残酷でグロテスク、それでも世界は美しい」
と信じている、と語っていた
私はこの彼の信条を知り、腑に落ちた
彼は「世界の現実」という
残酷さ、もの悲しさ、はかなさ、不条理
そういったものを切り取って
「写真」という形で表現している
そこに彼の持ち前の明るさ、コミュ力の高さ
「世界は美しい」と信じる心が加わることにより
彼の写真は大きく変化する
彼の写真は写真という物そのものだけではなく
彼が撮っているということに大きな意味と価値があるのだ
残酷な世界の現実に光を与え
被写体という私たちの世界を明るく照らし
輝かせてくれる
希望をもたらしてくれる
彼が撮る世界はきっと美しくなる
そんなふうに思わずにはいられなかった