心配事の9割は起こらない、けれど…
「心配事の9割は起こらない」
とよく言われます
枡野 俊明氏の本にもありますし
そのような研究結果もあるようなので
そうなのでしょう
私はこの本はまだ読めていないのですが
このことばについて思うことがあったので
今回まとめてみたいと思います
私自身なにかと心配性で
子どもがなかなか帰ってこないと心配しますし
なにかの発表の際には失敗しないかと
心配して不安になります
けれど、子どもはありがたいことに
元気よく帰ってきてくれますし
発表もそれなりにうまくいきます
確かに割合で考えると
9割程度は余計な心配なままで
心配事が現実となることなく
終わっていることでしょう
ただこれは
『心配するという考えに至る範疇の話』
だと思うのです
知らないことは心配もできない
ということです
井の中の蛙大海を知らず
「井の中の蛙大海を知らず」
ということわざがあります
「狭い見識にとらわれていること」を意味します
あえて擬人的に考えてみると
井戸の中の心配性の蛙は
・日照り続きで水がなくなったらどうしよう
・食べ物がなくなったらどうしよう
・足腰が弱ってジャンプできなくなったらどうしよう
などと考えるとします
しかしこの蛙は井戸の中しか知らないので
・海水に自分の身体は耐えられるのだろうか
・サメに食べられたらどうしよう
・鳥に空から狙われたらどうしよう
とは考えないのです
なぜなら
海水の存在も
サメの存在も
鳥の存在すらも
井戸の中だけで暮らしている蛙は
知らないから
人は自分の価値観の中でしか心配できない
人間もこの蛙と同じです
知っていることや自分がこうなんだろうな
と思う範囲内でしか心配できないのです
私は義両親と同居し
子どもたちがまだ小さかった頃
「私が長風呂をしていると子どもたちの
面倒を見ることができず義両親に
迷惑をかけるんじゃないか」と心配し
最低限の時間でお風呂を済ませていました
そしたらあるとき
「入浴後お風呂掃除をしていない」
と義母から注意されました
私の中にはそのタイミングで
お風呂掃除をするという概念がなかったので
心配していた範疇外のことで注意された
というわけです
また、こんなこともありました
私と夫の結婚披露宴のとき
義妹が楽器の演奏をしてくれることになりました
義妹は結婚式のときは振袖を着ていましたが
演奏をする披露宴の前に洋装に着替え
3曲を演奏してくれました
おそらく義妹も義両親も
「上手に演奏できるだろうか」
と心配していたはずです
無事に演奏が終わり義妹たちは
ほっとしていました
私は専門的なことはわからないけれど
演奏できてすてきだな、ありがたいな
と思っていました
ですが、後から聞いた話ですが
知人のひとりがこんなことを言っていました
「お色直しまでして3曲も演奏して
自分の発表会と勘違いしているみたい
新婦の○○ちゃん(私)がかわいそう」
義妹も義両親も
そのように思う人がいるのではないか
という心配は
微塵もしていなかったはずです
これは自分の価値観の中でしか心配できない
ということではないでしょうか
「衣装を変えても怪訝に思われない」
「3曲演奏しても不快に思われない」
という価値観の中にいたため
その価値観の外のことは想像できなかった
ということです
一応補足しておくと
新婦自身(私)は全く不快な感情は
抱いていませんでしたので悪しからず。
心配事の9割は起こらない、けれど…
心配事の9割は起こりません
ただ
「心配していないことは起こるかもしれない」
とは言えるのではないでしょうか
知らないから心配しようがないのです
でも知らないから
それを防ぐためにうまく立ち回れないのです
インフルエンザを心配していれば
10月ごろに予防接種を打つことができます
でも、未知の病気の心配はできないため
予防接種もできないのと同様です
結果、思いもよらないような指摘をされたり
怒られたり、誰かを不快にさせる
大きな失敗をする、大損害を被る
といった予想外のことが起こり得るのです
予想外を減らすには
ではそんな予想外のことを
減らすためにはどうしたら良いでしょうか
それは
いろんな経験を積んで価値観の幅を増やす
これに尽きると思います
井の中の蛙も井戸の中しか知らないから
考えが偏っているのです
いろんな価値観があることを理解し
いろんな価値観に触れてみる
そうすることで少しずつ
いろんな種類の「心配」を
することができるようになります
このように書くと
それは良いのか悪いのか?
と考えてしまいそうですが
1つ言えることとして
これにより「予想外」を
減らしていくことはできるのです
1つの考えに凝り固まらず
いろんな価値観に触れて
受け止めていきましょう