エッセイ「タグ付け」という過ち
私はときどき自分の本名を忘れる
というのは少し言い過ぎだが
SNS上ではペンネームを使用し
スタエフで日常的に
そのペンネームを声に出していることもあり
自分の本名が一瞬わからなくなることはある
この歳になると、苗字はともかく
自分の下の名前(ファーストネーム)を名乗ることは少ない
そして人から呼ばれることも少なくなる
2011年に「名前をなくした女神」
というドラマが放送されていた
このドラマのタイトルが
世の母親たちの現状を如実に表している
母親になると
「ママ」「お母さん」
「○○くん/○○ちゃんのママ」
「○○さん(苗字)」
と呼ばれることがほとんどだ
そして母親になると
子ども中心の生活となり
もともと名前で呼んでくれていた友人との
接触機会は減り、名前を呼ばれる機会は減る
夫も子どもが生まれると
「ママ」もしくは「お母さん」呼びとなり
いつのまにやら「ねぇねぇ」としか呼ばなくなる
(うちだけだろうか?)
名前がなくなるのだ
名前を呼ばれないというのは
「個」が認められていないような気がする
子どもの母親とか
○○家のお嫁さんとか
そういったタグ付けがなされ
タグばかりが重要で
その人自身を蔑ろにしているような気がする
私も例に漏れず
他人のなんらかのタグしか
見られていないのかもしれない
名前は親からの最初のプレゼント
使命が秘められている
タグではなく「個」を認め大切にする
という意味でも名前を大切に呼んでいきたい
自分の名前も
誰かの名前も
余談だが私は自分の本名も好きだ
身バレ防止のため使用しているペンネームも好きだが本名も好きだ
音の配列的に自己紹介時に噛みやすい
という欠点はあるが自分の本名が好きだ
名前をつけてくれた両親に感謝しようと思う