五感を失うということ
五感を失うということは
どのようなことなのだろうか
2024年1~3月にフジテレビ系列で
「君が心をくれたから」
というドラマが放送された
私はドラマ自体は見ておらず
ネットニュースなどであらすじを
拝見しているだけなのだが
主人公の女性は
事故に遭った最愛の人を助けるために
『心を差し出す』ことを選択した
その『心を差し出す』とは
五感を順に失っていくということだった
といったラブファンタジー
ラブファンタジーというには重い内容で
気になりつつも時間的な問題もあり
見られないまま今に至る
そのためドラマの内容について
これ以上触れることはできないが
本記事では五感を失うことについて考えてみたいと思う
君が心をくれたから - フジテレビ (fujitv.co.jp)
五感とは
まず五感とは外界を感知するための感覚機能で
・聴覚
・視覚
・触覚
・嗅覚
・味覚
大きくこの5つを指す
感覚の種類としては以下のようになっているが
触覚以外の4つは特殊感覚に含まれる
ドラマの中で「触覚」をどの範囲としていたか
前述のようにドラマを見れておらず
わかりかねるが
仮に表在感覚すべてを含んでいたとしたら
・触れたもの、触れたことがわからない
・触れられてもわからない
・熱さ、冷たさを感じない
・痛みを感じない
ということになる
もし「意識できる深部感覚」も含んでいたとしたら
・体の位置や姿勢を感じない
・振動を感じない
ということになる
脳梗塞などにより麻痺側の感覚が鈍くなると
麻痺側の手が挟まれていても気付かない
なんてことも起こり得る話だが
目が見えていれば確認することで
大事に至る前に回避できる
他の感覚においても同様で
五感のうちどれか1つを失っても
他の感覚により補うことができる
五感すべてを使えている状態に比べて
不便であり
異臭に気付けないなど
いろんなリスクが高まることは間違いないが
生きることは可能だ
5つ全て失う
では五感すべてを失った場合どうだろう
ここではドラマのように
健康体から五感だけを引き算した状態で
考えてみよう
飲み込みは反射なので
物を飲み込むことはできる
しかし
口の中に物が入ったことがわからないので
意図的に食べることはできないだろう
胃ろうや点滴などで栄養を摂るしかない
すると徐々に飲み込む機能は衰えていく
声を出すこと自体は可能だが
自分の声を自分自身で聴くことはできないし
自分の発言に対する相手の発言を聴くことも
できない
動くことはできなくはないが
何も見えず聴こえず触れてもわからないから
目的通りに動くことはできない
歯みがきなど身の回りのことも含めて
不可能だ
なにかを考えることは可能だが
刺激を完全に受け取ることができない以上
機能が衰えていくことは想像に難くない
完全なる遮断された世界
五感すべてを失うということは
外界の情報を一切受け取ることができない
ということだ
まわりで何が起こっていてもわからない
極端なことを言ってしまうと
刺されてもわからないのかもしれない
外界と自分の間に完全なる境界線ができ
遮断されてしまっている状態
地球の中の同じ空間にいるはずなのに
自分ひとりだけ全く別の空間にいるような状態
考えただけでもおそろしい
なんの刺激も受けられなくなった脳は
徐々に衰えていくのだろう
いわゆる「植物状態」になると思われる
感謝
そもそも五感を失うという状況が
脳にダメージを受けたからであり
ドラマのように健康体から五感だけを
引き算した状態はありえないわけだが
あえてこの引き算を考えてみると
こうなるわけだ
このように考えると
聴こえていること
見えていること
食べ物をあじわうことができていること
においを感じることができていること
大好きな人と触れ合って幸せを感じられること
こういったひとつひとつすべてが
大切でかけがえのないものだと気付かされる
生きているといろんなことがある
つらいこともあれば悲しいこともある
でもそれはすべて外界の刺激を受け取り
感じることができているから
自分の身体含め
世の中のすべての物や人に感謝し
生きていかなければならない
五感を失うことを考えていたらそんな結論に達した